桜の想い出
妻との結婚を決めた頃ですから25歳の春のことです。
緊張する妻(になる女性)の手を引いて一人暮らしの父方の祖母の家を訪れました。門をくぐる前に訪問の意図を彼女に改めて話しました。
前年の暮れに親しかった2歳年上の従兄弟と母方の祖父が続けて病で亡くなったこと。
その頃には自分の結婚を決めていたにもかかわらず、2人に報告できなかったことが心残りであること
自分の幸せを自分が愛する人に見てもらいたかったこと。
狭い通用口をくぐると、私が小さい頃に一時期預けられていた思いで深い平屋の家は前年に取り壊されて、2階建ての新しい家が建っています
孫には優しかった祖父は、女手一つで育てられた一人っ子のせいか暴君で、若い頃の祖母は随分と辛い思いもしたようです。
大正の始め、音楽家の家の長女として生まれた祖母は、昔の人の気丈さを持ちながら、6人の子供を育て、私たち孫にも常に優しく接してくれました。その強さは、教会のオルガン奏者をしていた父親から譲り受け、若い頃からのささえとなっていた信仰心によるものだったのかもしれません。
新築工事が終わったばかりの庭は荒れ果てて、植木の世話も全くできない状態でした。樹木は勝手気ままに枝を伸ばし、地面は雑草が生い茂っています。ただ、春のこの時期は、ハナダイコンの紫色の花が勢力を伸ばしています。
庭に少し背中が小さくなった様子の祖母が立っていました。
狭い庭の空一面に広がった桜の枝の桃色に、足下には鮮やかな紫を敷き詰めて。
「今日は教会の礼拝に行く日だったのだけれど」歳の割に身綺麗な彼女は(春の日差しのように)微笑んで言いました。「行かないでよかった。あなたが来るような気がしたの」
それから何を話したかは覚えていません。
人生に時々起こりうる小さな奇跡だったのでしょう。
あんなに綺麗な桜はその後みたことがありません。