自治体法務の備忘録

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私も、そうは思うんですよ

 送りがなについて、ちまちましたことを書いたばかりですが(http://d.hatena.ne.jp/kei-zu/20060608/p1)、読んでいた本のあとがきに楽しい記載がありました。

 漢字仮名づかいについては、自己流を通すこととした。と言っても、新仮名づかいがこれほど定着してしまった以上、そこからはずれることはしなかった。しかし根本的には、原語の正しさは国定のなんとか委員会が勝手に定めて良いのことではなく、その言語を用いて生きている人々がおのずと作り出すべきものである。いわゆる新仮名づかいの根本原則など、実は、いかにもあやふやで矛盾に満ちている。従っていくつかの点では、知っていて新仮名にしなかった(たとえば「むづかしい(難しい)」新仮名では「むずかしい」)。特に送りがなについては、そもそも送り仮名を統一しようなどということ自体、送り仮名の本質に逆らう。送り仮名は、漢字を訓読みするのに便利なように、必要な限りの仮名を送るものなので、前後関係に従って違った送り仮名をしてよいはずのものだ。文章の流れ、書いているときの気分、等々によって、送り方が異なってしかるべきなのである。
(416ページ)

イエスという男 第二版 増補改訂

イエスという男 第二版 増補改訂

 痛快でなりませんな。
 さて、本書は、初期キリスト教団が、その成立の過程において不鮮明にしてしまったイエス像を「キリスト教の先駆者」ではなく「歴史の先駆者」として浮かび上がらせようという試み。執筆に8年をかけたという内容は、「ダ・ヴィンチ・コード」などより遙かに知的好奇心を刺激してやまない。
 と分かったようなことを言った後で