自治体法務の備忘録

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教養書としても危険です

 ベストセラー街道を驀進中の「ダ・ヴィンチ・コード」について、落合洋司弁護士がご掲載の記事から

ただ、あくまで物語ですから、書かれている謎や異説を、そのまま真に受けるのもどうかな、という気もしました。興味のある読者は、さらに勉強しましょうね、ということでしょう。
http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20060618#1150618003

 ご指摘のとおりですが、実は「教養書」として読むのもかなり危うい。詳細についての論述はきりがないので避けますが、例えば、ダ・ヴィンチの「岩窟の聖母」に関する記述を取り上げると、作者はイエスと洗礼者ヨハネの位置を取り違えています
 主人公の専門であるところの図像学においては、荒野の預言者たる洗礼者ヨハネは毛皮の衣服で表されます。福音書に記述される青年期の衣装を子どもの頃から着てるわけないのですが「お約束」として、この絵画でもその例に倣っています。そうすると、イエスの頭上にかざされた聖母の手が「威嚇の姿勢を示している」はずがない。
 そんなわけで、本書をもってトリビアを披露すると恥をかくのでご注意を。せいぜいヤングジャンプで連載が再開された「孔雀王」に接する姿勢で楽しむべきでしょう。

(追記)
 売れまくってるようで、asahi-netに「ハリー・ポッター」と比して、以下のような記事が掲載されていました。

【謎解きの果て―『ダ・ヴィンチ・コード』を追う】
 インチキというか、笑えるミスも確かにある。だが、そこでむやみに目くじらを立てず、エンターテインメントとして楽しむのが正しい。大人の「ハリー・ポッター」なのだから。
http://book.asahi.com/hondana/TKY200605090309.html

 まあ、読む方にそれだけの意識が持てれば良いのですけどね。
 補足ついでに、「最後の晩餐」についても触れておきましょう。使徒ヨハネを美少年に描くのは当時の絵画によく見られたものであるし、作者が指摘する「誰のものでもないナイフを持った手」はペテロのものです(ダ・ヴィンチ自身による「捻れた腕」のデッサンも残っています。)。主人公の専門である図像学によれば「ナイフを持っている」のは、イエスの逮捕におけるペテロの言動について福音書に記載される内容から「お約束」であるはずなのですが…