自治体法務の備忘録

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真理は誰を自由にするのか

 上記branchさんの記事(http://www.seri.sakura.ne.jp/~branch/diary0609.shtml#0918)では、国会図書館法の前文に聖書からの言葉が引用されているというshomotsubugyoさんの記事をご紹介されています。

昭和の末,昭和63年5月30日,国会の職員研修会で,岡田温(ならう)さんがこんな証言をしている…

いつの頃か私〔岡田さん〕は館長に,〔国会〕図書館法の前文に「真理がわれらを自由にする」とありますが,あれは聖書から出た言葉と聞いていますが,日本の法律で論語法華経の文句を借用したというなら納得ですが,聖書からというのはどういうわけでしょうとお尋ねしたことがありました。心はアメリカ出来の法律ではありませんか,というつもりでした。

http://d.hatena.ne.jp/shomotsubugyo/20060916/p1

 ここの部分です。

国会図書館法】
国立国会図書館は、真理がわれらを自由にするという確信に立つて、憲法の誓約する日本の民主化と世界平和とに寄与することを使命として、ここに設立される。

 この言葉は第1回国会の参議院発議で挿入されたそうで、当時の議員の方に聖書にお詳しい方がいらっしゃったのでしょうか。とはいえ、聖書には以下のように記載があり、ちょっとニュアンスが異なります。

ヨハネによる福音書】8章31節・32節
 イエスは、ご自分を信じたユダヤ人たちに言われた。「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。」

 カトリック信者である作家の曽野綾子はエッセーのなかでこの違いに触れて、「前者は、真理を、いわば人間が自由に操作し、到達できるもののような位置関係で考えている」と厳しく指摘しており、興味深い。
 なお、同エッセーによると、国会図書館には、「真理がわれらを自由にする」として「ヘ・アレセオア・エレウセローセイ・ヒュマース」の語句が刻まれているそうですが、それは元がギリシャ語で編纂されている聖書の語句と同一であるそうです。