拳を収めるべき理由は
通勤途中に駅に張られたポスターに眼がとましました。
一番上に目を引く大きな文字で
決して暴力はふるわない。
大切なものがあるから。
そして定期入れに入った小さな子供の写真の下に
駅や車内での暴力行為は犯罪です。
と書かれています。
逃げ場のない車内で危険を感じる機会も多くなっている中で、積極的に防止に取り組む姿勢は評価できますし、そもそもが暴力自体が許されて良いはずがない。
それでも、ポスターのフレーズに違和感を感じて仕方がないのです。
振り上げた拳を収める端緒となるべきは、「失われる」自らの家族の笑顔ではなく、暴力を振るって「失わせる」相手の家族の笑顔なのではないでしょうか。
ポスター作成者の意図を十分にくみ取ることは不可能ですし、また、何よりも暴力行為の責任を問うことが見る者にアピールするという判断があるのかもしれません。
しかしながら、振り上げた拳の行き先にも守るべきものがあることに気が付かないことこそが圧倒的な想像力の欠如ですし、暴力行為の責任を問うことのみが実効的な主張であるとすれば、私達が現在置かれている状況にあらためて慄然とせざるを得ません。責任を問われることがなければ暴力は肯定されるとでもいうのでしょうか。
そんなことを考えた終戦記念日でした。