自治体法務の備忘録

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Like a rolling stone

 法律の文章をgoogle翻訳してみたところが、接続詞の「もって」が「has」になってしまって、というtihoujitiさんの記事(http://d.hatena.ne.jp/tihoujiti/20070907)に触れられて、kinkinさんが翻訳について掲載されていました。

 これは、google翻訳の信頼性の問題という意味ではなく、ビジネス文書にも言えることですが、「英語」と「日本語」では文化と発想そのものが違うので、比較したり、翻訳したり、ということが容易ではないからということも言えると思います。
 例えば、日本のビジネス文では、「○○の候 貴職におかれましては、ますますご清祥のこととお慶び申し上げます」とかの文章がありますが、こういう表現は英語にはありませんので、ビジネスレターにも、普通の手紙にも登場しない表現です。
http://blogs.yahoo.co.jp/kinkin_kankon/20181323.html

 また、kinkinさんは

私もしばしば「英語ではこの表現をどういうのだろう」とか考えるわけです。
こういう試行錯誤により、日本語の意味の理解が進んだりするからです。

とも掲載されていますが、私が学生時代に読んだ「知的発想のすすめ」(渡辺昇一・講談社現代新書)にも、たしか、外国語の習得が発想の幅を広げる手法の一つとして記載があったかと思います。私自身は、外国語どころか日本語もおぼつかない人間ですので、発想の幅云々以前にコミュニケーションに難があるのですが(えー
 話しはもとに戻って、kinkinさんがご指摘のとおり、言語はその背景の文化と不可分、というより、言語自体が文化の一断面ですから、言語どころか文化を隔てる壁というのは、やはり大きい。

転石苔を生ぜず(A rolling stone gathers no moss.)

という格言は、英米で意味が異なって捉えられるそうで、英国では「物事は腰を落ち着けて対処しなければ身にならない」という意味合いで使用されるの対して、米国では、回り続ける歯車が錆び付かないがごとく、活動的なさまを積極的に評価するような意味合いで使用されるといいます。(そうなの?>kinkinさん
 先日眼にしたカトリックの神父さんの文章では、違う立場での相互理解はかくも難しいと、上記の例を引かれた後で、ご自身のフランスの修道院にいた頃のご経験で、

武士は喰わねど高楊枝

という諺の意味がどうにも伝わらなくて閉口した、という記載がありました。「武士たるもの、一食抜いたぐらいで浅ましい様子を見せてはならぬ」という「心意気」とでもいうべきものがどうにも理解されず、「虚栄を示す愚かな行為の例え」としてしか捉えてもらえなかったとのこと。まあ、これは、民族性というよりも修道院という特殊な環境によるものであろうが、と補足されていらっしゃいましたが。
 って、いったい、この諺は、native English speakerにはどのように捉えられるのでしょうか>kinkinさん
 で、まあ、同じ日本語を話しても、私と妻の会話がかみ合わないのは、また別の話だ。