政策法務の「神学」
さて、4年ほど前ですが、市場化議論が盛んな時期において、日経が開催するシンポジウムで、推進する立場から自治体職員の方が
「『公権力の行使の主体とは』という『神学論争』は、この際しないんです」
と発言されるを聞いて戸惑いを覚えたことがあります。
【法学者と行政官の乖離】http://d.hatena.ne.jp/kei-zu/20060416/p1
その発言の中で否定的に「神学」と呼ばれるものにこだわるべきこそ、私たちの役割ではないのか。
ここで市場化の是非について意見を述べることは留保しますが、同自治体における市場化の試みについて否定的な論調も目にするところ、そのいわゆる「神学」をないがしろにして、「説得力」のある反論を果たして構成することができるのか、といささか不安に思うところです。
「神学」といえば、このあいだ、先頃有罪が確定し、失職に至った「外務省のラスプーチン」こと佐藤優氏の新刊を読むことがありました。
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(前略)神学論争は官僚仕事をやる上で非常に役に立つ。官僚はまず最初に結論を決め、そしてあとはそこに向けた議論を組み立てていく。(中略)ディベートは議論をして結論を出す仕組みではない。二つの相反する結論があり、両者のそれに向けての討論過程が重要なのである。
(24頁)
という旨の記述には、政策法務としての「神学」を捉えかねていた私にとって、なかなか興味深いものでありました。*1
この点、横須賀市職員時代の出石稔先生のご講義による政策法務研修で
「政策法務の実施には『確信犯』としての役割が必要だ」
と伺って、なるほどな、と思ったことを思い出したものです。
なお、ここで「確信犯」とは、「わかってて悪いことをする人」の意図ではなく、「正しいと信じてことに当たる人」である由。
いずれにせよ、私たちは、期待される「自治」の運営のため「説得力」ある理論構築を行うべく、調査と研究を怠ることは許されません。
*1:もちろん、クリスチャンである氏は、神学を否定的な技術論として記述しません。それどころか、「信仰」のない「神学」はない、と明記します。