長崎原爆の日
某元アイドルの逮捕劇に追われ、控えめな報道を余儀なくされた長崎原爆の日について、いささか時期を失した感ではありますが、過去記事の一部を再掲します。
【62回目の、夏】
著名なカトリック修道士としてご活躍されている著者は、爆心地から500メートルの距離に住んでいたものの、当日はトンネル工場内で勤務のために命を拾ったそうです。
そういえば、長崎は教会群の世界遺産登録が提言される「祈りのまち」ですけれども、その「祈り」がかくも圧倒的な暴力に蹂躙された事実がなによりも悲しくてなりません。無キズな女の子たちが、四、五日たつうちに、髪の毛が抜け、皮膚に斑点があらわれ、下痢、発熱、食欲不振、虚脱感などの症状が出て、次々に死んでいった。これが放射能の恐ろしさだ。
私は、一人死に、二人死ぬのを待ち、幼児の死体をタンスに入れて、重ねて、次に死ぬのを待った。三人死んだところで、原爆の丘で幼児の死体をまとめて、私一人で焼いた。
人間の身体はそう簡単に燃焼するものではない。廃材や畳、雑誌類を死体の上に乗せて、朝から夜まで無心に燃やし続けて、やっと骨にした。こんな悲しい出来事はなかった。
(40頁)http://d.hatena.ne.jp/kei-zu/20070809/p1
- 作者: 小崎登明
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- 発売日: 2003/01
- メディア: 文庫
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