「助走」の先のアカデミック・ハイ
健全な肉体に狂気は宿る―生きづらさの正体 (角川Oneテーマ21)
- 作者: 内田樹,春日武彦
- 出版社/メーカー: 角川書店
- 発売日: 2005/08/01
- メディア: 新書
- 購入: 5人 クリック: 42回
- この商品を含むブログ (130件) を見る
時間の過去・現在・未来が全部一望できるような気がすることってあるんですよ。直先的に未来まで全部見通せるような。人間的時間て、ふだんは過去から未来へと直線的に流れていて、それでいいんですけど、時々、違う「フィールド」にアクセスして、別の時間流の中に身を浸すという経験もあった方がいい。
(略)
そいういうこと(kei-zu注:モーツァルトが譜面を書く際には、頭の中で既に曲が完成していたこと)は、実際に起こりうることで、ぼくぐらいのレベルの学者でも似たようなことを経験することがあるんです。(中略)全部がぱっと見渡せて、「あ、できた!」と思った次の瞬間には全部すっと消えてしまう。消えないうちに必死になってメモとか取るんですけど、9割がたは消えてしまう。
(101ページ)
上記は、対談形式において内田樹教授(神戸女学院大学)が発言された内容からの抜粋です。
拙blogでは、過去に、年度末の膨大な例規改正を終えたばかりの、まだ火照った頭で記述した記事がありました。
ある程度、法制執務をやられた方なら実感としてわかって頂けると思うのですが、法令等の各規定に基づいて執行しようとしている事務の体系を法制執務として条文に編んでいく中で、組み立てられたリクツの中を意識が全速力で突っ走るときは、重力から解放されるような不思議な感覚を味わうことがあります。
http://d.hatena.ne.jp/kei-zu/20060331/p2
これを「捕まえる」わけですが、法政執務には、言われるような「理系のセンス」よりも「文系のセンス」が必要ではないかとして、以下のように書いたことがあります。
いささか霊感めきますが、大量の関係法令を参照しながら条文を編み込んでいく締め切りの間際には、構成されたリクツの相関関係が頭の中で色分けされた上で立体的にイメージされることがあり、「言語化されない抽象化された事象」をかいま見る感があります。
とはいえ、それを逃がさないようにガシガシと書き込んでいく段階の「言語化」こそが法制執務の本懐のような気がします。
http://d.hatena.ne.jp/kei-zu/20070626/p4
もちろん、私ごときの法制執務を研究者の論文に比すことはできないでしょうが、半ば「天啓」といわんばかりの閃きと、それを捕らえたときの高揚感というのは、共感される方も少なからずいらっしゃるのではないでしょうか。
前述の私の記事の前者では、
そんなところがこの仕事の楽しみです。
と文章を結んでいます。
まぁ、そんな例規改正を年中やっていたら、確実に寿命を縮めますが。