自治体法務の備忘録

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商店街はなぜ滅びるのか

商店街はなぜ滅びるのか 社会・政治・経済史から探る再生の道 (光文社新書)

商店街はなぜ滅びるのか 社会・政治・経済史から探る再生の道 (光文社新書)

 東日本大震災津波により被災した石巻市では、地域住民やボランティアの尽力により商店街機能し始めているといいます。一方で、それほど離れていない多賀城市では、一部が再開し始めたとはいえ、大規模なショッピングモールにはボランティアの姿はほとんど見られないそうです。

 商店街はたんなる商業集積施設ではない。津波の後も、商店街に住み続ける人がいて、家が流されてもそこに戻ろうという人がいて、商売の再開を願っている人がいる。商店街は、商業地区であるだけでなく、人々の生活への意志があふれている場所である。だからこそ、商店街の復興に少しでも役に立とうとするボランティアが後を絶たないのだろう。
(8〜9ページ)

 だが本書は、ありがちな商店街理想論を展開しません。
 商店街の発展が、高度成長期における都市部流入人口の受け皿となり企業による「雇用の安定」と並ぶ「自営業の安定」として、社会構造を下支えしたと指摘します(「両翼の安定」)。
 けれど、保守基盤としてその性格を強めた商店街は、時代の流れとともに、社会構造の中できしみを生じさせることも少なくなくなってきたというのです。商店街が大規模小売店に政治的に対峙する一方で、巨大資本による着実な進出経緯も読みごたえがあります。
 郊外における都市基盤整備が大規模小売店の進出を促進したという説明も、行政に携わる立場としては考えさせられます。また、現在の私達にとってはもはや存在しないことが考えにくいコンビニエンスストアが、巨大資本による商店街を「内側から破壊する」手段であったとも指摘します。
 ですが、本書が名著たるのは、商店街に関する既存の概念に鋭く切り込むからばかりではなく、実家が商店街で酒屋を営んでいたという著者が、自らの原体験と家族へのアンビバレンツな思いを乗り越えようとする迫力に他なりません。

 わたしはサラリーマンと主婦の生活にあこがれていた。スーツを着た父親とそれを待つ母親―それが当たり前の家庭だと思っていた。そこには、リビングルームと自分だけの子ども部屋があって、楽しい平穏な生活が待っているはずだ。小さい時分からそうした家庭こそが理想的なのだと、勝手に想像していた。
(215ページ)

 著者の両親は、現在では業種転換してコンビニを経営されているといいます。複雑な思いでそれを見つめる著者の視線は、高度成長期を過ぎた過去として、不透明な未来を前にたたずむ私たちの視線と重なります。
 本書の最後で著者が提示する「可能性」(それは、もはや商店街についてだけではありません)は、是非お手にとって確認いただきたいと思います。