自治体法務の備忘録(New)

このblogは、自治体改革の凄まじい流れ中で、自治体がその役割を手探りで拡大している状況を、独自条例の制定の動向等の紹介やそれに対する指摘、そしてそこから展開される政策法務論という点からつたない内容を書き留ようという試みです。

民営化に関する期待

 国が自治体の窓口業務に関する市場化テストの対象を提示したことを受けて、kinkinさんが民営化に関する期待について、日本と欧米における違いについてご意見を掲載されていました。

 行革の中での民営化の話になると、私はいつも日本と欧米の民主主義の歴史の違いを想起します。
 少なくとも私がイギリスで接する機会のある労働者階級の庶民は、官をそれほど信頼していないというか、官に対して期待していない印象を受けます。
http://blogs.yahoo.co.jp/kinkin_kankon/33171267.html

 kinkinさんは続けて「日本の歴史においては、庶民層による革命がなかったことが原因ではないか」とご指摘されており、私自身もささやかな歴史的知識から漠然と同様の感想を持つものではありますが、関連して思いだしたのが、以前にお聞きした中邨章明治大学大学院長のご講演の内容でした。
 ほぼ同じ内容のご講演が掲載されている書籍から引用してみます。

行政に携わっておられる職員の皆さんが一つだけ理解されていないことがあります。それは、自分のしている仕事のレベルがいったい世界のどれぐらいのレベルにあるのか、ほとんど認識されていないことです。日本の自治体は世界で一番だと私は思っています。もっとも活動の幅が広くて活動の量も多い。これが日本の自治体であります。
(略)
 日本では何か事が起こると、例えば昨日のように大雨で床上浸水をしたりすると、「行政はいったいどうなっているんだ!」となる。これが日本人の最初の反応です。しかし、アメリカではそんなことはありません。最初から自治体を相手にしていないので、「NPOでやろう。自治体に行ったってしょうがない。ブッシュを相手にしてもだめだ」となるわけです。
(8〜9頁)

 逆に言えば、上記のkinkinさんがご指摘の内容に基づく、市民の行政への信頼が、行政の質的量的充実を要請していると行って良いかも知れません。
 ご講演の内容は、行政職員を対象にした上記の「つかみ」から

 確かにわが国の地方行政は非常に素晴らしい中身を持っています。しかし、将来ということになると今までのようにはいかないだろうと思います。
(14頁)

と、今後の地方行政のあり方にお話しが展開するのですが、何よりも官民のあり方について、相互の意識の改革が無ければ、増大するばかりの行政需要に限りあるリソースで対処することは不可能であるのは事実でしょう。
 いずれにせよ、行政の民営化の流れは、単に行政の効率化や、ましてやNPOへの下請けを意図するものではなく、成熟した社会の必然であろうことは、認識の一つとしてあって良いかとは思います。
 もちろん、理念のない民営化万能論を支持するものではありません。為念。