弱いときこそ強い
誇る必要があるなら、わたしの弱さにかかわる事柄を誇りましょう。
(中略)
なぜなら、わたしは弱いときこそ強いからです。
私の祖母がクリスチャンであったことは以前にも記載しましたが、上記は、イエス・キリストの伝道に生涯を捧げ、最後はローマ皇帝に処刑されたと伝えられる使徒パウロが残した手紙(コリント後書)からの一節です。
このパウロさん、その激烈な生き様からか、かなり厳しい言葉を残されていて、聖書から引用される精神論的な文章は、だいたいこの人のものであることが多い。
とはいえ、ここで主張されているのは盲目的な精神論ではなく、困難が目の前に立ちふさがったときに、自分の力を発揮できる可能性を信じ、勇気を奮い立たせる意気込みでしょう。
気がつけば、春は、すぐそこです。