自治体法務の備忘録

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私たちは誰のために戦っているのか

 前期高齢者である母の言
「東京都っていうのは、国会があるから、自治体じゃないわよねぇ」
 ああ、どこから説明して良いものやら。
 いや、でも、世間の認識はそんなものでしょう。
 はたして、新政権下において唱えられている「地域主権」の語が持つインパクトを、どの程度世間が認識しているか。いやむしろ、「市や町、村よりも、国がやる方が、なんか安心できるわぁ」ぐらいの心持ちもあるか。
 であれば、思い出すのが、前鳥取県知事の片山善博教授(慶応大学)による「分権が国と自治体間の権力争いであるなら、住民の益にはならない」との指摘です。

地方分権改革と基礎自治体としてのこれからの市町村』
 気に障るかもしれませんけれどもはっきり言うと、わが国の自治体はそれほど住民の皆さんからの信頼度は高くないのです。
 分りやすくいうと、今までの分権改革は住民抜きでやってきているのです。もっぱら知事や市町村長の権限が増えて、自由度が増して金回りがよくなるようなことをやってきているのです。ですから住民はあまり関心がないのです。
(略)
 一番、勘違いしているのが総務省です。知事会、市長会も勘違いしています。みんな自分たちが強くなることが分権改革だと思っています。
(9頁)
http://www.ctv-chiba.or.jp/jichi/jigyou-shoukai/gyousei-zyouhou/05.pdf

 上記は、拙blogでもご紹介した、昨年のご講演の内容からの抜萃。教授は、遅々としてでも分権が進んでいる例として、市町村長が教育長を選任するに際して都道府県教育委員会の承認(都道府県の場合は、大臣の承認)を得るべき要件が改められたことを挙げていらっしゃいますが、併せて、法改正時の県職員の言葉から、県の複雑な感情を明らかにします。

ただ変なのは「県の教育委員会は市町村の教育長を自分たちに黙って任命するようになったらちょっとどうですかね。寂しいですね。」と言う。この非常に矛盾した考え方が県にはあります。

 では、翻って市町村は、そのようなアンビバレントな感情を持たずに、自らの行政運営を地域・住民のコントロールに委ねることは可能でしょうか。
 「地域主権」の語には、憲法の解釈論に関するパンドラの箱との指摘もありますが、私の母のような人を前にして、改めて、私たちが携わり、その方向性を模索する「自治」の意味が問われているように思います。