自治体法務の備忘録

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マタイの召命

 kinkinこと曽野田欣也さんが「『職』と『人』の理解 」と題された記事で、人事異動に当たっては「ポストや業務の職務分析」の上で「人的資源を組織内でその目的のために最適化する」べきであるとして、以下のように例示を上げられています。

 職務分析の例を挙げれば、例規担当部門で要求される知識や能力、そして適性と言えば、法令の知識、論理的思考力などといったことが思い浮かびます。
(略)
 先に挙げた例の法規担当部門の場合には、法令の知識が豊富で高度な論理的思考力を持った職員を配置すれば良いことになります。
http://kinkin2.blog42.fc2.com/blog-entry-165.html

 法制部門にそれなりの期間所属する身としては、いささか面はゆい書きぶりです。少なくとも、私はそんな立派なものと言えるかどうか。
 さて、私のPCの壁紙は、今のところ、カラヴァッジョの「マタイの召命」になっています。イタリアバロックの有名な絵画で、光と影のコントラストがなかなか劇的。(http://www.salvastyle.com/menu_baroque/caravaggio_matthew.html
 新約聖書によると、このマタイさん、同胞のユダヤ人からのカネを巻き上げ、場合によってはちょろまかしをするような、支配国ローマの手先たる徴税員だったそうで、まあご立派な方とは言えなかった。
 ところが、街を訪れたイエスは他の誰でもなく、このマタイを弟子とします。上記のリンク先で確認いただけますが、右側のイエスに指さされているのにも気づかず、テーブルの左側で一心にコインを数えているのがマタイとされています。まあ、周りの人間の、驚いたと言うより戸惑うばかりの顔を見てご覧よ。
 私の赴任が意地の悪い神の悪戯であるかどうかはわかりませんが、分権後の自治体法務の最前線で、自らの力不足に苦しみながらもなんとか仕事をさせていただいてきた経緯の上で、ふと目に留まったのがこの絵でした。

 兄弟たち、あなたがたが召されたときのことを、思い起こしてみなさい。人間的に見て知恵のある者が多かったわけではなく、能力のある者や、家柄のよい者が多かったわけでもありません。
 ところが、神は知恵ある者に恥をかかせるため、世の無学な者を選び、力ある者に恥をかかせるため、世の無力な者を選ばれました。
 また、神は地位のある者を無力な者とするため、世の無に等しい者、身分の卑しい者や見下げられている者を選ばれたのです。
「コリントの信徒への手紙I」(1章26―28節)

 新約聖書からの別の一節です。キリスト教って、極端な根本主義や排他的な側面には困っちまいますが、このような視点には惹かれるものがあります。
 実のところ、「できるから」ではなく、「自らの本分で、どう立ち向かっていくか」かが職務のあり方なのかな、とも思うところです。
 まあ、その「適性」を見るのも人事なんでしょうけれども。
 なお、激情型のカラヴァッジョは、殺人の果て、ローマを追われ晩年まで放浪の身となります。彼は自らが描くマタイに何を重ねようとしたのでしょうか。