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一部の美術性の高い本を除いて、本というものは、見た目が汚くなっても、徹底的に読んであげるのが本にとっても本望ではないか、という感覚があり、粗末にはしませんが、後生大事にとっておく、という感覚もないですね。
http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20050221#1108922942
私も現在は、本は「情報の媒体」として意識しています。でも、ここに来るまで道のりがあったのだ。
落合弁護士で書かれていらっしゃるように紙カバーをかけると書名がわかりません。対処の策として、中学・高校時代の私は、ジャンルごとに紙カバーを分けることにしました。ご指摘のとおり、紙カバーなど取ってしまえば良いのですが、当時は、書店ごとに工夫したものが多くありましたので。紙カバーで有名な東京都目黒区のあるご書店(第1回(1984年)書皮大賞)も通学路であったし。
まだその程度であれば良いのですが、本が汚れるのが嫌なのは、本好きによくあると思うものの、私の場合は、それが高じて、読むときに本の横(各ページの「厚さ」が重なっている部分)に手あかがつくのを防ぐため、めくったページの表面を指で押さえ(指の腹で押さえると汗などで汚れる可能性があるので、指先で)、しかも、あまり開くと背表紙が傷むので、のぞき込むように読むまで至ってしまい、「このままではやばい」と、無理に上記の通り頭を切り換えたわけです。最初は苦しかったですよ、本の悲鳴が聞こえてきそうで。
最近は、書店で紙カバーを断りますし、平気で風呂の中でも読みます。(読むなよ)