自治体法務の備忘録

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選挙といえば

 結果として、選挙は有権者たちの思惑をよそに組織の管理者の代理戦争の様相をなした。
 当方の候補者は既に議会に席をおきながらも転入間もない立場で有権者全般には知名度が薄いという不利な点を抱える一方、先方の候補者は長年の議会活動の実績に加え、そのルックスの良さで女性を含め幅広い層の有権者に働きかけた。当方の組織に、危機感と準備疲れ、そして結局は保守層の分裂選挙である状況においての倦怠感と自主投票の指向が起こる中、管理者は「個別にはいろいろ意見もあろうが、自分たちの仲間として候補者を送り出す以上は、全員で彼を支援したい」と組織の引き締めにかかった。

 保守分裂といっても、今回の総選挙ではありません。
 私の小学校6年生の頃の児童委員長の選挙の話です(w
 上記の「管理者」とは「クラス担任」であるわけで。
 それにしても、無投票に終わりそうなところ、反目する担任教師が「作り上げた」政局に、半ズボンの児童達が行う、昼休みの立会演説会、休み時間ごとに廊下でがなり立てる「○○をよろしくお願いします!!」の連呼は、今考えると、なかなかグロテスクな様相があります。
 選挙運動は加熱し、「△△くんは、○組(先方の組織)の子と遊んでいた」というだけで「裏切り者」呼ばわりされる事態にまでに至って、双方自粛と相成りました。
 先方はそれでも最低限の立会演説を行いましたが、当方は積極的な名前の連呼はせず個別に政策の浸透をこころがけ、結果として先方が当選となったのですけれど、最後の演説での「静かな学校環境のため、不要な演説や名前の連呼はしないことにしました」という当方候補者の発言には「正直こたえたよ」と先方の選対局長が後ほど(私と一緒に通っていた学習塾で)言っていたのが印象的でした(w
 なぜこんな昔話をしたかというと、

 実は、選挙の実質をよく比較研究してみないと、日本の国政も地方自治も、ひょっとして間違った議会制度をもっているのではないか、ある選挙形式を普遍的と思いこみすぎていないか、ひいては、新しい議会像についての発想貧困を招いているのではないかが、わかりません。これも、スイスの自治と比較して改めてそう感じています。
http://tabushi.cocolog-nifty.com/platz/2005/08/no22_3e81.html

という木佐茂男先生の記事を拝見して、懐かしく思い出しただけで、特に総選挙のコメントするものではないです(えー
 今にして思えば、当時の担任の先生はこのような形で社会勉強を(違う)