自治体法務の備忘録

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法学者と行政官の乖離

 dpiさんの興味深いご指摘、ちょっと長めですが。

法律家が前提としている思考様式の特徴を、民事法を念頭に図式的に表現してみると、法律関係に登場するアクターは基本的に2人であること、すでに生じた紛争を解決するために事後的に介入していくこと、すでに存在する(はずの)法規範を事案に当てはめることで結論を得ること、という、「二元的・事後的・包摂型」の思考であることが指摘できると思います。もちろん応用形態は様々なものがありうるわけですが、ここで述べられたものが最も原始的・基本的な形態であることは単純な民事裁判を念頭におけば納得していただけるのではないでしょうか。
それに対し、行政官の思考様式はこれとはだいぶ異なっているように思われます。まず、アクターが2人に限定されているということは非常に稀で、同時に複数ないし無数の利益を考慮に入れることが要請されるし、影響もそれと同じ範囲に及ぶでしょう。また、行政作用を行う際にも抽象的には何らかの事案ないし案件というものが観念されているのかもしれませんが、それは多くの場合すでに生じた紛争の解決というより、将来生じうる事象を予防したり、社会を望ましいと思われる方向へ導いたりする、事前的な介入ではないかと思われます。そして、それらに対応する際に、適用すれば一義的な解決が導出しうる法規範が存在するということは珍しく、また存在したとしても微妙な要件判断や手段の選択の余地が残ることの多いものであって、行政官の裁量判断が要求されることが多いのではないかと思われます。
http://d.hatena.ne.jp/dpi/20060412/p1

 拝見してつらつらと思考を泳がせていたところ、週後半は仕事の山に追われ、終電で帰宅して酒飲んで寝ちまいました。駄目ねえ。
 既にあちこちでご意見が掲載され、今更、私ごときが書くべきこともないのですが、個人的な補足をいくつか。
 上記の内容については、情トラさんが

法律家の思考
 法的思考パターン= If A, do B (=もしAだったら、Bをしろ)
  二元的・事後的・包摂型
行政官の思考
 政策的思考パターン= For C, do D (=Cのために、Dをしろ)
  多元的・事前的・裁量型
http://d.hatena.ne.jp/joho_triangle/20060413/p2

という端的な提示が興味深い。

何せ「行政法に強い弁護士になるために,法科大学院に来たんですから」

とおっしゃる氏のご指摘は実務屋の良い指針になります。
 さて、これからは自治体における独自の法運営のために法務知識の充実が良く言われるところ、このことについて係内で話題になった際に、ロースクールの立ち上げや行政法に係る司法試験の出題などを挙げて私が比較的楽観的な見通しを述べたところ、「でも、学んだことが実務にそのままいかせませんよね」と後輩に指摘され、むむむと唸ってしまいました。確かにスキーでいえば教本で読むのと実際にゲレンデに立つという、いわゆる「理論」と「実践」以上の乖離が両者にはありそうです。
 この点ついて、branchさん(http://www.seri.sakura.ne.jp/~branch/diary0604.shtml#0412)やdpiさんがご指摘のとおりOJTの効用があるわけですが、あえてありていに言えば、そのOJTで埋めるべき事項が具象化され、検討されるべきなのでしょう。
 昨年の秋に参加した指定管理者に関するシンポジウム(http://d.hatena.ne.jp/kei-zu/20050909/p2)におけるパネル討論会で「市場化テスト」に話題がおよんだ際に、積極的に推進する立場の方の「『公権力の行使の主体とは』という『神学論争』は、この際しないんです」という発言には「行政法の先生が聞いたら怒るだろうなあ」と苦笑してしまいました。
 しかしながら、法学者と行政官の乖離を埋めるべき「共通の目線」は、引き続き相互から探られるところ、最近は行政官から法学者に転身される方が多くいらっしゃり、また、自治体において積極的に法学者の意見に基づいて実務が実践されるなどの試みがあることから、やはり楽観的な見通しを持ちたい。

住民に身近な法の執行者は、ほとんどが国ではなく地方自治体です。法を動かしているのは、私ども末端の地方自治体職員なのです。
http://d.hatena.ne.jp/nationfree/20060413/p1

 個人的には、職務柄、対象となる市民との距離が近く、フィードバックができる環境にあるという立場から、「社会的なコンセンサス」をもって「法」運営を行えるのが自治体法務の現場であると期待したいところです。